小豚と美貌鹿

生きる上で役立つなあ、と思ったこと、日々の生活の中で頭に入れたいことなどを纏めます。

不真正不作為犯 参考論証

 

不真正不作為犯はシャクティパッド事件(最判平17.7.4)を最重要判例として検討する重要論点です。

本記事では不真正不作為犯の思考の整理のため,参考程度の論証を示しておこうと思います。

 

不真正不作為犯 参考論証

1 本件甲の不作為の行為について殺人罪(刑法(以下,法令名省略)199条)が成立するか。

(1)まず,作為で規定された犯罪について,不作為による実行行為性を認めることができるか。

この点,実行行為とは犯罪の結果発生の現実的危険性を有する行為であるところ,不作為によってそのような行為を行うことは可能であるといえる。

従って,不作為による行為について実行行為性を認めることはできる。

(2)しかし,不真正不作為犯の成立要件は法律上明示されていない。そうだとすればその成立範囲を限定しないと処罰範囲が必要以上に拡大してしまい,刑法の自由保障機能を害する恐れがある。

よって,不真正不作為犯の処罰範囲を限定する必要がある。そしてその処罰範囲の限定にあたり,作為によって規定された犯罪につき不作為での犯罪成立を認めるのだから,当該不作為が作為による構成要件的結果の発生と同価値のものでなければ,不真正不作為犯の成立を認めるべきでない。

(3)具体的には,当該不作為について①作為義務が認められ,②その作為義務の遂行が可能かつ容易であることを要する。

ア ①について

作為義務の有無については法令・契約・先行行為・保護の引受け・排他的支配・社会的保護関係等の事情を総合して判断すべきである。

 

 

パターンとして必須で覚えておかなければならないのはとりあえずここまででしょう。

不作為犯については平成30年司法試験でも少し捻った問われ方で出題されていますから,しっかり押さえておくようにしましょう。

 

                                                                                                                            以上

認知的不協和の解消

今回は前回お送りした「本当に使える心理学(1)」の続きです。

前記事はこちら↓↓

 

porkblog.hatenablog.com

 

さて,前回お伝えしたのは返報性の原理というものでした。

そして,返報性の原理によって秘密を暴露してしまった場合,認知的不協和の解消という現象が起こる,というとこまでお伝えしましたね。

 

今回はこの認知的不協和についてお話ししようと思います。

 

 

認知的不協和論とは,アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した理論です。(レオン・フェスティンガーにつき以下,Wikipediaのリンク)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC

 

認知的不協和とは,自分自身の価値観と矛盾することが起きた場合の不快感のことをいいます。

 

そして,認知的不協和の解消とは,認知的不協和が発生した場合にその矛盾による不快感を減少させようとする心理的働きのことなのです。

 

この認知的不協和はすべての人間に日常的に起こっている事であり,その解消もまた日常的に(無意識下で)起こっています。

とはいえ,いきなり認知的不協和とか言われてもピンとこないかと思います。ですので,以下にいくつかの認知的不協和の解消の例を紹介しようと思います。

 

認知的不協和の解消の一例

・あなたが1万円のランチを食べに行ったとします。そこで1万円も払ったのだからさぞ美味しいランチが出てくると思いきや,想像外に美味しく感じなかった場合。これが認知的不協和が起こっている状態です。

そこであなたの内心で認知的不協和の解消が起こります。「高級というものはきっとこういう味の事を言うのかもしれない」「食べ終わってから改めて思うとあんな味の者はこれまで食べたことが無かった気がする,うん美味しかった!」等のように考えること,これが認知的不協和の解消という現象です。

 

・他にも,定価+手数料で行ったライブのセトリが微妙だったときに「こういうセトリは中々ない,レアな公演だった」と考えることや,定価+手数料で行ったライブで面白くないMCがめっちゃ長かった時に「まああの推しの話も結構エモくて良かったよな」と感じること,高い木に生っているブドウを採れないキツネが「あのブドウは絶対酸っぱいよ」と呟くようなこと,これらのような精神の働きが認知的不協和とそれに対する認知的不協和の解消が働いていると言えます。

 

認知的不協和論の恋愛・人間関係への活用

ここまで認知的不協和の解消について説明してきましたが,さてこれが心理学テクニック的にどう使えるのでしょうか。

 

カンの良い方ならもうお気づきでしょうが,そう,認知的不協和を起こしてやればいいのです。そして,それに対する認知的不協和の解消によって自分への高感度が上昇すれば良いわけです。

 

ここで前回の記事の返報性の原理が出てくるわけです。返報性の原理によって,まだ恋人でも家族でも親友でもない人に対し「信頼している人にしか話さないようなこと」を話してしまった場合。ここに自分の価値観と矛盾した行動をとったという認知的不協和が生じます。そしてその相手の内心では認知的不協和の解消が起こり,あなたを信頼している人の枠に入れてしまうのです。つまり「信頼している人にしか話さないこと」を「信頼している人に話した」という形で,矛盾による不快感を解消するわけですね。

 

これは簡単にできてしまうことですが,相手の内心に働きかける為に効果が高いです。

恋愛テクニックとしてだけでなく,同性や先輩後輩関係にも本当に使える現象ですので,心の隅にでも置いておくといいかもしれませんね。

 

 

                                   以上

英米契約実務において頻出の英単語表現纏め(1)

今回は趣向を変えて,司法試験の受験科目ではなく,実務に役立ちそうな話をしようと思います。学部やロースクールの授業などで使う事もあるかもしれません。

英文契約において使われる定型をまとめてみました。普通の文章より型がきっちり決まっているため、覚えると英文契約書も簡単に読めるということもあります。

 
【助動詞】
 
shall…〜しなければならない、〜するものとする
普通の英文だとmustが使われることが多いですが、英文契約においてはほとんど使われることがなく、shallが基本です。
willやbe obligated to〜で代用されることもあります。
 
 
shall not…〜してはならない
be prohibited from〜ingも同じ意味でよく使われます。
「決して〜ない」という「否定の強調」の意味を表す場合もあります。
 
 
may…〜する権利がある、〜することができる
権利を表す場合や、許可を表す場合に使います。権利を表す場合には、be entitled to〜という表現も使われます。
canも、「〜することができる」という意味ですが、「〜することのできる能力がある」という意味合いとなるため、契約書ではあまり使われません。
 
 
【接続詞】
 
and…および
or…もしくは、または
それぞれ単体で使われるのはもちろん、文中でand/orと二つの単語を並べて使う場合もあります。これは、and「および」とor「もしくは」の両方を、またはいずれかを選択できることを表現しています。
例えば、Buyer may purchase product A and/or B from Seller.
という文章があった場合、買主(Buyer)は、売主(Seller)からAとB両方の製品を買うこともできるし、AとBどちらか一方だけ買うこともできる、という意味になります。
 
whether or not…〜であるか否かを問わず
 
 
【指示語】
 
here+前置詞
この場合のhereは、this Agreement(本契約)もしくはthis Article(本条)を指すと考えると分かりやすいです。
つまり、hereto=to this Agreement、hereof=of this Agreementとなります。
the data hereofで契約日、the effective data hereofで契約の発行日という訳となります。
 
there+前置詞
この場合のthereは、以前に出てきた語句を表します。
例として、
Customer agrees that the Software,Documentation and all other related materials provided toCustomer,and all intellectual property rights therein,are exclusive property of Licenser or its suppliers.
とあった場合、この時のthereinは、in the Software,Documentation and all oher related materialsを表します。
 
notwithstanding…にもかかわらず
 
specified…記載された
これも、英文契約書で使われる指示語の役割を果たす用語です。
as specified above「上記のとおり」be specified in〜「〜に明記された」のように使います。
specifyのほかに、provideやset forthなども使われます。
 
in cosideration of〜…〜を対価として、〜を約因として
英米法のもとでは、契約を締結する際に、債務に応じた対価(=約因)が提供されていなければ契約は成立しません。つまり、片務契約は存在しないことになります。
 
due to〜…〜を原因として、〜のために、〜により
 
appendix/attachment/exhibit…添付書類、別紙
 
今回は以上です。
普通の英文の表現とは違う意味のものもあるので、なかなか難しいところではあると思いますが。
英文の契約書を見る機会があったときには、これらの表現をメルクマールとして読み解いてみてください。
 
                                    以上

二重起訴について

今回は民事訴訟法のうち,訴訟の開始,つまり訴訟係属(特定の訴訟事件が両当事者の関与の下に特定の裁判所により審判されている状態)の効果のうち,二重起訴の禁止(民事訴訟法(以下,法令名省略)142条)についてまとめます。基本論点ですが慌てるとこんがらがるところでもあるので,しっかり自分のものにしておきましょう。

 

二重起訴とは

 

二重起訴の禁止とは,裁判所にすでに訴訟を継続を生じている事件については同一当事者間では同一事件について重ねて別訴での審理を求めることは許されない とするものです。

この規定の趣旨としては,

①被告の応訴の煩

②訴訟不経済

③判決相互の矛盾抵触のおそれの防止

ということが挙げられます。

これはわざわざ説明しなくても,見ればまあそうだよな,という感じだろうと思います。

 

問題はどのような時に二重起訴にあたるか。つまり要件ですね。

142条の要件は「事件」の同一性があること だと言われています。

つまり,

①当事者の同一性

②事件の対象の同一性

で判断されます。

 

ここで問題となるのが審判形式が異なっている時にも二重起訴の禁止に抵触するのか,ということです。確認訴訟が係属しているのに同一事件について給付訴訟を提起するような場合ですね。

このような場合には142条の文言は直接は当てはまりません。ではこのような訴訟の提起を許して良いでしょうか。

ここで先ほどの二重起訴の趣旨に立ち戻って考えてみますと,審判形式が違うからといってこの趣旨から外れる話である,とは考えにくいですよね。

ですから,審判形式が違っても事件の同一性があるならば,二重起訴の趣旨より142条を類推適用して訴訟を認めない,との結論を取ることになります。

 

ここで,二重起訴禁止の規定は「同一事件について別訴の提起を認めない」規定になりますから,反訴(146条1項)を提起することは認められています

ここで覚えておいて欲しいこととして,例えば債務不存在確認請求訴訟に対して給付訴訟の反訴を提起して認められた場合,反訴の訴えの利益が認められれば主訴の確認の利益はもはや失われ,主訴については訴え却下判決を下すことになります。

 

相殺の抗弁と二重起訴

 

さて,二重起訴で一番考えておかなければならない,相殺の抗弁との関係について記述しておきます。

相殺の抗弁との関係では,⑴別訴を提起し,その後に同一債権で相殺の抗弁を提出する場合と(抗弁後攻型)⑵相殺の抗弁を提出しているにもかかわらず別訴で同一債権につき訴訟提起した場合(抗弁先行型) に分けられます。

 

端的に言ってしまいますが,抗弁後攻型だろうと抗弁先行型だろうと,二重起訴禁止の趣旨に触れるため許されない,という立場に立ってしまうのが記述しやすいのかなあ,と思います。

二重起訴禁止規定の趣旨③を,現実の既判力抵触ではなくそのおそれのある事件についてあらかじめ重複審理を禁止したものである,と考えれば,どちらの形であれ既判力抵触のおそれはあると言えますから,142条の趣旨に触れると考えます。

 

 

二重起訴に抵触する場合の処理

142条に抵触する形で後訴が提起された場合には,その後訴は不適法却下となります(140条)。

 

裁判所が不適法な後訴を看過して審理がなされてしまった場合には上訴事由となります。ここで注意しなければならないのが,不適法な後訴が確定してしまったならば再審事由にはならず,既判力ある判決が存在することになる,ということです。したがってこの後訴と矛盾する判決はもはや成し得なくなります

 

これによって前訴と後訴が矛盾した内容で確定した場合には,後に下された方の判決が338条1項10号に基づき,再審の訴えにより取り消されることになります。

 

 

 

二重起訴の話は以上です。学部やロースクールでも頻出の論点ですから,しっかりと確認しておいてください。

二重起訴の判断のみならず,民事訴訟法を考える上では訴訟物に対する理解が必須です。一つ一つ丁寧に検討することを繰り返しトレーニングしていきましょう。

 

 

                                                                                                                               以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

返報性の原理

 

最近,記事や本などで「〇〇に使える心理学」とか,「絶対に使える恋愛心理学」といったものを見ることが多くありませんか?あらゆる情報があっと言う間に手に入る現代,少しでも「人生の攻略本」のような方法を知りたい人が多いのかな,なんて思ったりします。

 

かくいう私もそんな考えの1人で,こっぴどい失恋を経験して以降,あらゆる「心理学」「恋愛学」みたいな方法を読み漁りました笑

 

でも情報が簡単に手に入る世の中だからこそ,本当にそれが使えるかどうか,ということについてはより慎重になる必要があります。私も読んできた中で,実際根拠がはっきりしていない・素人目から見ても明らかに疑問が出てしまう,といったようなテクニックが大半でした。だからこそ,本当に使える心理学テクニックを備忘録的にまとめることにしました。もし興味があれば心の片隅にでも留めておいて,日々をちょっとだけ楽しいものにしてみてください。

 

とはいえこれは本当に効果があるので,絶ッッッ対に悪用はしないでください。

では中身に入っていきます。絶対悪用しないでくださいね!

 

 

返報性の原理

今回紹介する本当に使える心理学は「返報性の原理」と呼ばれる仕組みについてです。

端的に言えば

 

人は自分が何かをしてもらったら,何かを返したいと思う

 

心理的働きのことです。

 

この原理自体は割と有名ですし,いろんなところで紹介されておりますが,その絶大な威力に比べて「簡単なテクニック」的な,軽い位置におかれていることが多いように思います。

 

ですがこの仕組み,どんな人にもほぼ例外なく当てはまる上に,抗い難い拘束力を発揮します。

これは過大な誇張表現でもなく,普段から起きている現象なのです。

 

 

例えば誕生日にプレゼントをくれた人がいれば、その人の誕生日には「なんかお返ししようかなあ」と思いますよね。これが返報性の原理のわかりやすい例です。

 

返報性の原理は物をもらった場合のみに限りません。自分にだけ秘密を打ち明けてくれた人に対しては自分も何か秘密を暴露してしまいたい気持ちになります。

私もついこの間,どう考えても他の人に話したらマズイだろ,というような話を暴露されて,ついつい自分も秘密を打ち明けてしまったことがあります。

 

ある研究によればこの返報性,最初に与える側ではなく,返す側の方が5倍も高くレートを設定するというデータもあるとのことです。

流石に…と思う方もいるかもしれませんが,これは実際不思議なことでもありません。

人間は「与えることに快感を感じる」生き物だからです。`

具体的な例を挙げてみます。

 

とあるアメリカの大学での実験です。

ある人に1ドルを渡すとします。

Aにはその1ドルを「募金するように」と指示して与え,Bには一度1ドルを与えた後で「やっぱり返して」もらいます。

その後に両者の幸福度を測定するとなんとAの幸福度の方がBの幸福度よりも2倍以上高かったのです。

 

人間は一度手に入れたと思ったものを失うと最初からなかった場合よりも大きな喪失感を感じ,逆に「他人に何かを与える」という行為については「人からそれを貰う」のと同等かそれ以上の満足感を得るものなのです。つまり,返報性の原理でいう「されたことにするお返し」は,「してもらったから何かしてあげよう」なんてレベルではなく,「何かお返しを是非してあげたい!」という欲求なのです。だからこの効果はどんな人にも当てはまり,抗いがたいと申し上げたのです。

 

これは皆が気になるであろう恋愛の面でも絶大な威力を発揮します。

もうこれは恋愛科学的なチャートにもなるくらい流れが決まってしまいます。

先ほども言いましたが。返報性の原理が働くのは物の渡しあいやお礼のみに限りません。秘密の暴露,つまり弱みの開示にも作用します。

 

あなたが仲良くなりたいと思う異性がいます。人というものは言ってしまえば動物の一類型ですから,自分が信頼している人にしか基本的に弱みを見せたくありません。代表的なものはそう,彼氏彼女です。しかし,ここでまだ恋人でない自分が弱音・弱点を開示することで相手に返報性の原理が働き,弱みや弱点を開示してくれます。さあ大変,相手からすればまだ信用していない相手に,信用している人にしか話さないような話をしてしまいました!無意識下でどのような心理状態になるのでしょうか?

 

実はここで相手には認知的不協和の解消という現象が起こり,あなたに対する信頼がアップするのです。

 

あれあれ?また新しい単語が出てきましたね。認知的不協和の解消とはいったいなんなんでしょうか。

 今回は長くなってしまいましたので,これについてはまた解説します。よければ楽しみにしていてください。

 

以上,返報性の原理でした。これは無意識化でそうなってしますという原理なので何度も言いますが非常に強力です。再三言いますが絶対に悪用しないでください。

ちなみにこれは敵意や害意にも働きます。自分の事を嫌っている人の事を中々好きにならないでしょ?

悪口・悪意はなるべく控えた方が,あなたにとってより良い人生が待っていますよ。

では,今回はここまで。

所持品検査について

今回は刑事訴訟法の基本論点である所持品検査について簡単にまとめていきます。基本論点ではありますけれども,混乱しがちな分野の一つなのでしっかりと確認していくことをオススメします。

大前提として,今回問題となる所持品検査は行政警察活動の範囲で行われるものであるため,任意に行われる必要がある,ということです。ですから,強制にわたるような態様の所持品検査は許されないのです。強制処分は強制処分法定主義(刑事訴訟法(以下,「刑訴」という)197条1項但書)によりそれが法定される場合にのみ実施し得る原則に服しています。そして,強制処分による捜査を強制捜査強制処分によらない捜査を任意捜査というように区別されています。従って,強制にわたってしまえば任意捜査の範囲を超え,行政警察活動としての枠を離れてしまい,許されないということになります。(強制と任意の違いについてはまたの機会にまとめます。)

 

所持品検査の検討

では,所持品検査の具体的な検討に入っていきます。

上記のように所持品検査は行政警察活動として行われるものです。行政警察活動とは個人の生命等の保護,犯罪の予防・鎮圧,公安の維持という行政目的を達成するための警察活動のことをいい,その活動にあたっては憲法31条(適正手続きの要請)の趣旨から①その活動には根拠条文が必要であること②任意捜査の原則の趣旨③警察活動の必要性・相当性という観点からの規制が生じます。

しかし,所持品検査を明示的に定めた条文は存在しません。このことから上記に反し,許されないのではないか,との論点が出てきます。

ですが,所持品検査とは犯罪の早期発見,つまりは行政警察活動の目的にある犯罪の予防・鎮圧の為に行われるものです。ですから,職務質問に付随して認められると考えられています。従って,警察官職務執行法2条1項が根拠条文であるということになります。

そして任意捜査は原則として相手方の承諾を得なければなりませんから,承諾の有無を検討していくことになります。承諾を不要とすれば捜索・差押え等の強制捜査に令状を要求した法の趣旨を潜脱する恐れがあるからです。この時の承諾は黙示の承諾でも足ります。

 

ただし,承諾がなければ一切所持品検査が許容されないと考えるべきではありません。先ほど述べた犯罪の予防・鎮圧という目的を達することができなくなれば,所持品検査を認めた意味が無くなってしまいます。そして上記承諾の目的は法の趣旨潜脱の恐れを回避することにあります。そうだとすれば,強制捜査に令状を要求した法の趣旨を潜脱しないのであれば許容してもいいであろうと考えることができます。

具体的には強制捜査に令状が要求されているのですから,強制捜査でない範囲なら許容できるだろうということになります。

 

そして,その行為が強制捜査なのかどうかを判断する判断基準について,判例が示してくれています。米子銀行強盗事件(最判昭53.6.20)ですね。判断の観点としては

①所持品検査の必要性

②緊急性

③侵害される個人の利益と保護される公共の利益との権衡

④具体的状況の下で相当だと認められる場合

であれば,任意捜査として許容されます。

 

少し難しいのはあてはめですね。米子銀行強盗事件では,ボーリングバッグのチャックを開被した行為を任意捜査の範囲として適法としましたが,その後のアタッシュケースのカギを壊した行為は強制処分にあたるべき行為だとしながらも,先行したボーリングバッグの開被によって現行犯逮捕の要件を充足したので,後行のアタッシュケースは逮捕に伴う捜索差押(刑訴220条)として許容されています。逆だったら違法だったんですね。違法な捜査によって収集された証拠であれば適正手続の見地(憲法31条)からそれに続く逮捕などの捜査も違法になります。時系列を読み間違えないようにしましょう。チャックの数,カギの有無等,プライバシーの保護度合を丁寧に評価しながら検討してください。

 

以下、所持品検査について簡単に参考論証を述べておきます。自分なりに使いやすいように書き加えながら使ってみてください。

 

所持品検査 参考論証

1.本件における所持品検査は適法か。

(1)行政警察活動は憲法31条の趣旨により,原則として根拠条文に基づいて行われなければならないところ,所持品検査について定めた明文の規定は存在しない。

しかし,口頭による質問と密接に関連し,職務質問の効果を上げる上で必要かつ有効であるから,職務質問に付随する行為として警察官職務執行法2条1項により許容される。

(2)そして,その範囲についてであるが,人が携行しているものの「捜索」「差押え」には憲法35条の令状主義が妥当するから,所持品検査は任意捜査の範囲で行われるべきである。

本件職務質問は~という不審事由が認められることにより,警職法2条1項に基づき適法に開始されたといえるが,所持品検査が任意捜査の範囲にあるといえるか。

この点,任意手段としての捜査を行うためには所持人の承諾を得る事が原則である。

しかし,職務質問および所持品検査は犯罪の予防・鎮圧等を目的とする行政警察上の作用であって,所持人の承諾のない限り一切の所持品検査が認められないとするのは妥当でない。

そこで,捜索に至らない程度の行為は強制にわたらない限り許容されると解する。具体的には

①所持品検査の必要性

②緊急性

③侵害される個人の利益と保護される公共の利益との権衡

④具体的状況の下で相当と認められる場合

に許容されると解する。

 

 

                                    以上

名誉棄損罪について(2)

今回は前回↓↓の続きです。

porkblog.hatenablog.com

 前回は230条の構成要件解釈を簡単に説明しました。

今回は特則である230条の2について検討していきたいと思います。

 

230条の2

1項 前条第1項の行為が①公共の利害に関する事実に係り、かつ、②その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、③真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

2項 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

3項 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

 

今回検討していきたいのは1項の要件についてです。では,各要件について検討していきましょう。

 

[①公共の利害に関する事実 要件について]

公共の利害に関する事実とは「市民が民主的自治を行う上で知る必要がある事実」ということです。この点につき,公共の利害と一般大衆との好奇心は異なるので,個人のプライバシーに関する私生活所の行状は原則として公共性が否定されます。

 

しかし,当該人物が携わる社会的活動の性質や影響力の程度などによっては,公共性が認められることがあります。

判例でも,「私人の私生活上の行状であっても,そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては,その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として,『公共ノ利害ニ関スル事実』にあたる場合があると解すべきである」と判示し,公共性を認めたものがあります(月刊ペン事件 最判昭56・4・16)

 

[②目的の公益性 要件について]

目的の公益性とは「公共の利益を増進させることが主たる動機となって事実を適示した」ということです。

つまり,読者の好奇心を満足させる目的被害の弁償を受ける目的では本要件を満たさないということです。

 

[③真実であることの証明があった時 要件について]

さあ,本条文最大の論点である真実性の要件についての検討です。

この要件を検討するにあたって,まずは上記①②の要件が充足されてから検討に入らなければなりません。なぜなら,事実の真否を明らかにする過程で再度被害者に苦痛を与えることになるので,そういったことはやむを得ない場合に限定されるべきだからです。つまりプライバシー保護の見地からですね。

この要件は事実が真実であった場合に充足し不可罰となるものですが,では一体どこに問題が生じてくるのでしょうか。それは行為者がその事実を(実際には真実でないのに)真実だと誤信していた場合です。こういった場合まで全て許されないとなると,表現の自由が必要以上に制約されることになりかねません。かといって,全てを誤信であるが故に事実の錯誤として故意を阻却すると,どんなに軽率に信用しても処罰が否定されることになり,名誉の保護を不当に軽視することになってしまいます。

そこで,判例は230条の2を個人の名誉の保護と正当な言論の保障との調和を図ったものであると解し,たとえ真実性の証明がない場合でも「行為者がその事実を真実であると誤信し,その誤信したことについて,確実な資料,根拠に照らし相当の理由があるときは,犯罪の故意がなく,名誉棄損の罪は成立しない」(最大昭44.6.25)と判示しています。

 

 

ちなみに近時気になる点はインターネットによる名誉棄損の場合ですよね。

このインターネットによる表現についても名誉棄損につき従来と同じ判断基準が妥当するとされています。

 

230条の2「真実性の要件」についての参考論証

以下,上記③について論述する際の参考に簡単に論証を記述しておきます。学部生,ロー生は参考にして改良を加えるなりなんなりしてみてください。

 

真実性の誤信(証明失敗の場合)

1.行為者が事実を真実と誤信し,その誤信したことについて確実な資料に照らし相当な理由がある場合でも230条の2は適用されないか。

(1)この点,真実性が証明されない場合は全部処罰されるという考えがある。しかし,証明がない限り免責の余地が全くないとすると表現の自由の保護を不当に軽視することになり妥当でない。

(2)また,行為者が真実だと誤信したのであるから事実の錯誤として故意が阻却されるという立場に立つと,行為者が確認を怠り,真実と軽信した場合まで保護されてしまい,名誉の保護を不当に軽視することになりかねない。

(3)従って,当該誤信につき,「誤信したことに相当な根拠がある場合」に限って処罰を否定するべきである。

 

とても簡素なものになっておりますので,自分で理解を深めつつ書けるようにしておいてください。

 

                                     以上